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高木いづみ 氏(当事者)((特非)名古屋難聴者・中途失聴者支援協会会員、全国文字通訳研究会会員)




「聞こえない人の心に響く文字通訳を」


 名古屋から参りました高木いづみです。私は全文通研に入会して2ヶ月になりますが、パソコン通訳に関しては、地元のNPO団体の名古屋難聴者・中途失聴者支援協会に入っている関係で以前から関っています。平成6年の7月に名古屋で開催された『字幕放送シンポジウム』にパソコンによるリアルタイム通訳を取り入れており、全国でも初めての試みでした。起案者の高木富生、私の主人ですが、主人は当時ネットで盛んだったチャットを有効に使えないかと考え、全国のニフティサーブの仲間たちに呼びかけて、全国のどこにいても在宅しながらリアルタイムに通訳する方法を提唱しました。そして、この年(平成6年)の11月に行われた全国身体障害者スポーツ大会・ゆめぴっく愛知にて、瑞穂陸上競技場にある大きな電子掲示板にリアルタイム字幕を映し出しました。参加者はみんな大きな電子掲示板に映し出されたPC字幕を見ながら観戦を楽しみ、自分もまた「聞こえる人と聞こえない人とが感動を共有するってなんて素晴らしいんだろう!!」と身体が打ち震えるのを止めることはできませんでした。この後の白鳥国際会議場での交流会には、全国からニフティサーブのメンバーが駆けつけて、Uラック(いまのHUB(ハブ)やLAN(ラン)の役割を持つ)を使ったPC通訳を披露してくれました。大きな掲示板に次から次へと打ち出される字幕に、周りのだれもが足を止めて目を見張り、あちこちから拍手喝采が起きました。このようにして成功を収めたPC通訳は、2年後の平成8年にオーストリア・グラーツで開催された国際難聴者会議でも取り入れられています。
 主人はこれに飽き足らず、名古屋市科学館の協力を得てドーム内に映し出されるプラネタリウムに字幕を映すという全国初の「字幕で見るプラネタリウム」を開催し、以来、年に2回開催して、今年3月には17周年になります。その他に、「でんきの科学館」では各所にある展示物に付いている透明のガラスの案内板に字幕を映し出して聴覚障害を持つ観客にガイド案内ができるように工夫を凝らしたり、『もののけ姫』等アニメ映画に字幕を入れたり、様々なところでパソコン字幕を取り入れています。これらが実現できたのは、偏に要約筆記サークル『まごのて』や『なごや組』らパソコン仲間が協力してくださったからこその成果です。

 一方、私は要約筆記サークル『まごのて』に発起当時から入っており、「よりよい要約筆記に」をモットーに仲間と討論を重ねたり合宿もし、まごのて発行のテキスト作りにも編集員として関わっていました。この頃は、健聴者も難聴者も気持ちは一つとなり、まさに「両輪」という言葉にふさわしく、要約筆記者養成講座、派遣制度制定の実現に向けてサークル活動は充実していました。しかし、講座を進めていくうちに意見の行き違いが生じ、私は8年ほど前に講師を降りました。そうこうするうちに、名難聴の会合や講演会などでスクリーンに書かれる要約筆記に、かなり洩れや不備が目立ってきて内容が掴めないということが多くなってきました。例えば、話し手が会場の参加者にわかりやすく理解してもらおうと例示を話しても、その部分はカットされてしまいます。会場を和ませようとジョークを言っても、それもカットされます。資料やパワーポイントがあれば「それを見よ」と言わんばかりに「→(矢印)」か、ページ数のみ。話し手がどこを読んでいるかさっぱりわかりません。難聴者はただただボーッと見ているしかありません。健聴者は含蓄のある話を楽しみ、笑ったり会得したり、考えさせられたりして、話芸から繰り出される「聞く魅力」という恩恵に与ることはできますが、そういった部分をカットされた要約筆記を読んでいる難聴者は、ずっと要点ばかりを並べたてたような堅くてつまらない話を長時間強いられます。そして終わってみれば疲れが残っただけということになってしまうのではないでしょうか?そんなときは、要約筆記者に「あなたなら、この内容に納得しますか?」と言いたくもなります。もはや、「要約筆記」ではなく「省略筆記」と言っても過言ではありません。
 私は普段は口の形を読み取る読話が中心ですが、読話も100%ではありません。役員をやっていた当時、役員会で事務局長だった主人の話が読み取れず、スクリーンにも書かれていなかったので「いま言ったことをもう一度言ってください」とお願いしました。けれど主人の口からは「要約筆記者が書かない選択を取ったんだから言っても無駄だ」と辛辣な言葉が放たれました。初めは「話についていけてないのかな?」とも思っていたのですが、主人が退屈な会議を和ませようとジョークを言ったときに要約筆記者は書こうとしませんでした。ペンを止めているのです。だから「書かない選択をした」と取られるのは当然で、主人が言うのは一理あるし理解はできます。でも一抹の淋しさやもどかしさで何度心の中で泣いたかわかりません。こうしたことが重なって、いつしか責める気持ちが主人に向けられるようになりました。「なんで?なんでもう一度言ってくれないの?」と。やがて、主人を批判するのは間違いだと気づきました。要約筆記者が「書かない選択」を誤っているのです。私も要約筆記者養成講座の講師を経験しているのですから、話し言葉に追いつくために言葉の削ぎ落としや置き換えがあることは知っています。しかし、「例えやジョークは無駄だから書かない」ではないはずです。いまの要約筆記者は「書かない選択」の本来の目的はなんなのか?ということを忘れているように思われてなりません。また、「書かない選択」があるなら、「書く選択」だってあるのです。聞く側の難聴者は、情報に飢えているばかりでなく潤いにも飢えているのです。「クスッ」と笑ったり、「なるほど」と合点がいく、そんな心が通う通訳を求めています。要約筆記者は会合が終わってから反省会をします。でも、私は会合の合間の休憩時こそ反省してほしいのです。そうすれば前半と後半とでは文字の合間に違いが見られるはずです。でも、それさえも忘れているように思われてなりません。

 昨年5月に名身連聴覚言語障害者情報文化センター(以下、聴言センターに略)から今年度の要約筆記者養成講座の講師になってほしいと依頼がきて、「なぜ、いまの要約筆記者がそうなったのか?」を自分の目で確かめるチャンスだと思い、引き受けました。難聴講師は、基礎知識となる「耳のしくみ」や「難聴者活動の歴史」などを担当しましたが、要約技術に関しては健聴講師が中心になって進めています。講師に立つのは久しぶりになりますが、ここで感じたのは難聴講師と健聴講師の間に線を引かれているようで、かつてのような「ともに歩む」という共存意識が薄いように思われました。聴言センターからは受講生に「難聴、そしてそれを負うということ」を知っていただくために、担当日でなくても参加してほしいと要請を受けており、できる限り出ています。現在、講座は要約技術編に進み、私自身も学ばされることは多いですが、度々「それはないんじゃない?」というような場面に遭うことがあります。要約技術の一つとして冗長や意味を持たないところは省くなど、講師は繰り返し指導していますが、私が気になったのは「挨拶は書かなくてよい、例えの話は必要ない、ジョークは必要ない、抽象的なところも必要ない」という、「ない、ない」尽くしの言葉です。その語句を読む度に胸が痛みます。他の難聴講師と帰途についた際、「そういう言い方は聞くに堪えない、このままでは受講生に『書かなくてよい、省略してよい』という観念が染みついて、書かない要約筆記者に育ったら怖いね」と嘆き節が続いたことがあります。
 受講生はまだ初心者で、話のスピードについていけないのはわかる、学習の主旨はわかる、指導カリキュラムには反するつもりもありません。でも、私は思うんです。「書かない」「必要ない」と言うのでなく、「挨拶やジョークも大事ですが、先ずは難聴者に一番必要な情報を伝える技術をしっかり身に付けましょう。練習を積んでいって、余裕が持てるようになったら文字情報を増やしていって、難聴者に楽しんでもらえるような要約筆記者になりましょう」と教えていってほしいと。講座の中でもよく「心を伝えましょう」という言葉が使われますが、最近の要約筆記者は心を伝えるどころか、「心を捨てている」とさえ感じられます。

 要約筆記を見て帰った日は、テレビの字幕を見てホッとします。そこには、要約筆記者なら切り捨ててしまうような言葉がちゃんと収まっていて、初めて人間らしい安堵感を覚えます。ドラマの中ですが、「そ、そうなんだけど・・・」の一見無駄なような言葉でも、その人の人格が垣間見えて同調したり、一緒に怒ったり笑ったり悲しんだり、そんな共感を持つってことは、自分もそこにいるような錯覚さえ覚えます。もちろん要約筆記と字幕を比較することはできません。テレビの生放送だって、字幕が遅れて出て興が薄れたりすることもあるのですから。もちろん書かない、書けない要約筆記者ばかりではありません。書ける要約筆記者は何人もいます。先日、長く要約筆記活動に携わっている人から話を聞きました。「ある会議でいづみさんが質問したら司会者に「質問時間はもう終わってる」と遮られたのを見て腹が立ったんだよ。いづみさんには参加する権利がある。その思いがいまの要約筆記活動を支えているよ」と笑って言いました。その言葉を聞いて私は感激しました。いくら感謝しても足らないぐらいです。思えば、難聴者を一番理解しているのは要約筆記者です。難聴者の聞こえをサポートしようと始めた活動です。だから、私は「書かないから」と言って、要約筆記者の派遣申請を止めようとは思っていません。自分にとっても必要だからです。だからこそお互いに思ったことは言い合える人間関係を築いて、よりよい要約筆記を目指してほしいと切に願っています。そしてこの願いは、ここにおられるパソコン文字通訳に携わる方々にも通ずるものがあると信じ、全文通研の今後のご発展をお祈りいたします。ご静聴いただき、ありがとうございました。