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□□ □□ 氏 (当事者) (匿名・代読発表を希望)
「手書き要約筆記の今昔(いまむかし)」 手書きの要約筆記養成が始まって以来、今でこそ20年以上もの長い歴史が積み重ねられていますが、その途上にはいろいろな試行錯誤があったことを会場の皆様もご存知ではないでしょうか? 手書きでは書けるスピードが1分間に60字から70字が精一杯です。聞こえない人々は「聞く権利」を守るために、機械化ができないかと、裁判所で記録に使われていた速記タイプの導入なども試みられました。手書きでは、二人書きという方法で情報伝達量の増加を試みて、一時期は都内での二人書きが全国的に注目を浴びていた時代もありました。 二人書きは正規の講習時間内で修得できるほど生易しい技術ではなく、講習会終了後に登録活動をする傍らで、研修会で技術研鑽に務めていた要約筆記者の努力に、頭が下がる思いでした。「できるだけ多くの情報を伝えよう」といった熱気が要約筆記者の間から遠のいたのは、いつ頃だったのでしょうか? 私が住んでいる地域では、個人派遣利用者が多かったせいか,都道府県単位の派遣事業ではニーズに応えきれないから「地域で養成を」と派遣元から申し出があったらしく、全国的にも地域での養成講習会の取り組みは早い方でした。初めは要約筆記者中心の養成で、「聴覚障害の基礎知識」といったテーマの時に私は講師として招かれたりしておりました。 そのうち企画段階から中途失聴者・難聴者も関わって一緒に講習会を運営しましょう、ということになったのは良いのですが、難聴者・中途失聴者に声をかけても運営会議では手話がタブー視されたようで、手話ができる人も手話を使おうとしません。ノートテイクをつけるという配慮もなく、会議に参加するのも一苦労でした。 中途失聴者・難聴者という言い方が長いので、ここでは難聴者と略して話を進めさせて頂きます。決して中途失聴者をないがしろにしているわけではありません。その点、どうかご了承願います。 私は一緒に取り組み始めたばかりの頃、個人的都合により、講師を辞退せざるを得なかったのですが、難聴者にとって一番身近な理解者であるはずの要約筆記者の、そのような姿勢に疑問を感じながらも、他の難聴者が一緒になって取り組みが始まったわけです。 地域での養成は比較的順調に進み、多くの要約筆記者が育ち、修了者の受け入れ先として要約筆記サークルを創設するとともに、難聴者の会も小人数ながらもできて、いわゆる「車の両輪」として養成講習会への協力体制も整っていきました。そんな中で、私が運営に関わるのを休んでいた間に、後で聞いた話なのですが、「聴覚障害者のコミュニケーション」といったテーマで難聴講師が担当した時に簡単な手話を教えたらしく、要約筆記者側の責任者は、衆目の面前で怒ったそうなんです。「要約筆記の場に手話はタブー」というのは、聴覚障害者のトータル・コミュニケーションを指導する立場からは、おかしい話です。それ以来、その時講師を担当した方は、二度と講師を引き受けることはありませんでした。そんなこんなで運営を担当していた難聴者の会と要約筆記サークルは、少しギクシャクした関係になってしまいました。交流会も年に1回くらい、という形式的なお付き合いになってしまったのは残念でなりません。 それから数年経ち、私も地域の難聴者の会に入会して、講師として復帰し、他の難聴者講師と共に講習会を盛り上げていきました。運営会議では、講習会を修了して、現場経験を積み重ねる段階になった、いわゆる要約筆記者の卵、の方々が情報保障を担っていたのですが、まだ十分に話に追いつけないこともしばしばでした。そんな時に、ベテランの要約筆記者講師がスクリーンを見て「ここは伝わっていない。伝えるべき」と判断した時は、会議の進行に支障が出ないようにさりげなくフォローの発言をして下さり、そのような配慮ができる人こそ、「要約筆記者の鑑」だと感心させられたものです。 このように地域で養成して多くの要約筆記者が育っていたにもかかわらず、地域での派遣事業は長年、市へ要望を提出し続けていてもなかなか認められませんでした。ボランティア活動を地道に続けて下さっていた要約筆記者に、いつも心の中で、時にはきちんと声に出して「ありがとう。あなた方の社会的立場を守ってあげられなくてごめんなさい」といった気持ちで接しておりました。要約筆記者の社会的立場をしっかりさせることは、つまり難聴者の「聞く権利」を守ることに他ならないからです。 講習会では、受講生が練習で書いたロールの検証を要約筆記者の講師がしていましたが、文字の大きさや読みにくい文字の指摘から、1行に書く文字数、ロールの引き方、交代の仕方、句読点の打ち方に至るまで、それこそ重箱を隅々まで眺めつくすような検証をすることもあり、さすがに厳しすぎるのではないか、こんな厳しい指導に嫌気がさして辞めていく人が出ないか、ハラハラしたことさえあります。 しかしその後、いつの間にか、要約筆記者講師はあまりスクリーンを見なくなりました。検証の仕方が180度といっていい位に変化しました。その頃から、講習会の情報保障を担当する要約筆記者の書き方もかなり短く要約しすぎ、といった書き方が目立つようになっていました。講習会では、まだ全難聴と全要研の共同編集のテキストを使っていた時代ですが、既に「要約の技術」といった本が出版されていて、速く書く為の工夫として要約筆記者の間では、その技術を自然に取り入れていたようです。 そんな書き方に疑問を感じ始めた頃、講習会も半ばを過ぎた頃です。「難聴者が要約筆記に望むもの」といったテーマで話す担当になった時、何を話そうかと要約筆記者の講師と事前に打ち合わせをした後で、そういえば国際難聴者会議に参加した人や世界事情に詳しい人から、アルファベット圏の欧米諸国では、文字通訳の時に要約をしていない、と聞いたことを思い出して、「聞こえない人たちが話の全てを聴きたい気持ちに国境はない」といった意図の話を追加したいと直前に申し出たのですが、「予定外のことは話さないでほしい」と却下されてしましました。それまでは「できるだけ多くを伝えよう」という要約筆記者の通訳者としての姿勢に感心させられていたので、協力体制もしっかりしていたし、「少し時間オーバーしても、話したいこと話してね」といった受け入れ体制があったのに、疑問を感じてからは「時間を守って」になってしまいました。難聴者の本音を聞く耳をもたない要約筆記者が増え始めていました。ある日、ノートテイクを依頼して早めに会場に着いたら、担当の要約筆記者も早めに着いていて、何かの資料を読んでいました。聞いてみると「要約の仕方がいろいろあるけれど、どれがいいか迷う」と言うんですね。「とりあえず短縮型でいいのでは」とそれまでの指導方針を継承するようなアドバイスをしたのですが、あまり真剣に聞こうとしません。当事者の意見を聞こうとする姿勢がないことが明らかでした。 話は変わりますが、地域で聴覚障害者関連の要望書を提出するには、難聴者関係団体、聾者関係団体と分かれて提出するよりも、一緒に連名で提出した方が効果的、と市側の担当者からのアドバイスに従って、それまでの三団体懇談会から五団体懇談会として要望を提出した結果、やっと要約筆記の正式派遣が認められ、登録要約筆記者の会も加わり、六団体懇談会として更に活動の幅を広げることに成功しました。 しかし正式派遣が認められたにも関わらず、その後の要約筆記講習会運営会議は荒れに荒れました。今までのテキストを使わないで指導したいと要約筆記者委員は主張するし、時には会議で難聴者委員が発言中に割り込み発言する人がいて、難聴者委員側は「会議で発言する時は、手を挙げて名前を名乗ってから発言して下さい」といった、会議進行上の注意事項を要望する始末で、あまりにも基本的なルールさえ守られていない現実にやるせなさを感じざるをえませんでした。また「できるだけ話し手の言葉をそのまま伝えてほしいと多くの難聴者は望んでいます」と発言したら「そのまま書くってどういうこと?」と罵声にも似た大きな声で反論されてしまい、返す言葉が見つからず、頭を抱え込んでしまいました。長年の要望であった派遣が実現しても、利用者が求める書き方ではなくなってしまいました。 手書きで書ける、伝えられる文字数には限界があることを認めた方が、お互いに楽ではないでしょうか? パソコンが得意な分野、手書きが得意な分野を認め合い、住み分けることは可能だと思います。 時には講習会で講師としてジョークを言うこともあるのですが、受講生や健聴者が笑っても、その場にいる難聴者講師や受付の難聴者は笑いません。それを見てもやるせない思いがします。「笑いを共有したい」「多少のタイムラグはやむを得ないけれど、一緒に笑いたい」これが、文字通訳の原点の一つであると思わずにはいられません。テレビではお笑い番組に字幕が付く番組が増えて、家族が笑っている時に取り残される寂しさも減ったことが嬉しく感じるこの頃です。 まだまだ話したいことはたくさんありますが、時間の都合もあり、これくらいにしておきます。まとまりのない話を最後まで聞いて下さり、ありがとうございました。文字通訳者と聞こえない人々が本音で、対等に話せる時代が到来することを願っております。この場でそれを実現できますように。 |