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菅原 睦子氏 (当事者)(横須賀中途失聴者・難聴者の会「こだま」)
「私が期待するパソコン文字通訳」 横須賀中途失聴者・難聴者の会「こだま」 菅原睦子 みなさんこんにちは、 横須賀中途失聴者・難聴者の会「こだま」で活動しています菅原です。 よろしくお願いします。 私は去年、このパソコン文字通訳シンポジウムに「遠隔パソコン文字通訳」と「全文入力」この二つのテーマに魅かれて参加しました。 聴覚障害に関わる方々の話やその現状、またパソコン文字通訳についての研究や活動発表はとても参考になり障害への理解、技術の進歩やバリアフリー整備の進展等、私たちを取りまく社会環境はここ2〜3年で大きく変わってきていると実感できました。 それ故に、当事者として、前途に明るさが見えるこの時代に生き合せている事を、心から有難いと思います。 ところで、どのような方法での全文入力が可能なのかと、興味と期待半々で参加したシンポジウムでしたが「全文入力」という言葉に、認識の違いがあることに気付きました。 その認識の違いとは何なのか?ということと、併せて、今日はこれまでの私の体験を通して「情報保障を受ける立場」「要約筆記に関わる立場」、この相反するような立場から提言をさせていただきます。 その前に少し私のことをお話します。 私が聞こえにくいと感じたのは10歳の時でした。進行性の難聴ためにその後も聴力低下が進み、20歳の時に感音性難聴の診断を受けて、平成9年に障害者手帳の認定を受けました。 6年前、ストレスから一気に聴力が落ちて今は2級です。 要約筆記との出会いは、10年くらい前です。 周りの人とのコミュニケーションがうまく取れずに引きこもり状態だった私が、やっと前を向いて進み始めた頃でした。 入会したばかりの手話サークルの人に「要約筆記が付くから聞こえなくても、手話が分からなくても大丈夫よ!参加してみたら?」と勧められたのがきっかけです。 「大勢の中にいるのに、いつも一人ぼっち」 鬱々とした思いを30年近く抱えていましたが、初めて要約筆記を見た時にそんな思いも一瞬に吹き飛んで、私がそのままの私でいてもいい場所、やっとみんなの輪の中に入る事ができたと嬉しく思いました。 それからは要約筆記者と二人三脚、いろいろな場所に出かけるようになり、社会との関わりも増えて仕事に就くことができました。 その中で少しずつ人間関係が広がって市民活動にも関わるようになり、難聴者の活動を始めて今に至っています。 私の社会参加のきっかけを作ってくれた要約筆記に何かお手伝いができたらと、要約筆記サークルに入り一緒に活動を始めて4〜5年経ちます。 ところが、一緒に活動するということは当事者でありながら、またその内側からの視点にも立つことになり、次第に心の中に葛藤が生じるようになりました。 一般的に話す速度=300〜350文字/分。 それに対して書く速度=60〜80文字/分。 またパソコンは1分間に120文字と聞きます。 「リアルタイムに対応するためには書ける量には限界があるので、5分の1にまとめる必要がある」というのが要約筆記の考え方です。 前回のシンポジウムで、大阪市難聴者・中途失聴者協会の理事長 宇田さんのお話にもありましたが、私も以前全要研の例文集に掲載されている本文と要約文との内容量の違いに驚いたことがあります。 講演会等でのOHPは、要約された文章であっても、私たちにとっては書いてあるものがすべてなので、ただただ書いて頂いてありがとうと感謝の気持ちだけです。 それ以上のことは考えることはありませんが、実際に本文と要約文を照らし合わせた時の内容量の違いには戸惑いを感じます。 しかし要約筆記がなければ、私たちには情報が伝わりません。 ですから、当事者として出来ることは積極的に取り組み、少しでも良い方向に進んで行ってほしいとの願いから、地元の要約筆記のサークルでは、感じたこと・気付いたことはできるだけ伝え合うようにしています。 去年、要約筆記勉強会の時に私が担当する機会がありました。 要約技術の勉強として、文章の中で削除・省略できるもの、短縮表現、文末処理等の内容を準備しました。 これは全難聴のテキストを参考にしたものです。 要約筆記者に少しでも多くの内容を入れて欲しい、現場で役立てて欲しいとの願いからやってみたのですが… 例えば 学校から帰ってくるとき → 下校中 病院に行って診察を受けた → 受診 好天に恵まれました → 好天 …してまいります → …してきた 確かに意味は同じなので分かるのですが、途中でやりきれない思いに駆られてしまいました。 自分で準備した勉強内容にも関わらず、 「でも私が本当に読みたいのはこんな要約文ではなくて、要約されない本文そのままを伝えて欲しい」と切実に思いました。 「書き言葉は話し言葉に追いつかない、話し言葉に追いつくためには5分の1にまとめる必要がある」この現実の前には、何も言うことができずに矛盾した気持ちの葛藤が燻っています。 初めて要約筆記に出会った感動は、言葉に言い表せないほど嬉しく、今でもそのシーンを鮮明に思い出すことができるのですが、10年近く経った今「もっと多くの内容をリアルタイムに」と求める気持ちが強くなっています。 更に欲を言わせていただくと、話の内容を一語一句そのまま全部を知りたいと思うのです。 同じ言葉でもその言葉から受けるイメージや理解・解釈の方法はみな違うのではないでしょうか? 気持ちが落ち込んでいる時に、偶然に目にした言葉で心が癒されたり、和んだりすることがあります。 その時の気持ちが言葉に敏感に反応する感覚は、ジグソーパズルの最後のピースがピタッと納まった瞬間の感激に似ていて、たった一つの言葉が暗い迷路の中で喘ぐ心を救いあげてくれることもあるのです。 そのような訳で言葉に対しては拘りがありますが、私は情緒豊かな心に響く日本の言葉が大好きです。 言葉の微妙なニュアンスから伝わる雰囲気や感覚を、自分の心で感じたいと強く思います。 聞こえていた時のように自分の頭で考え、自分の心で感じて、自分なりの方法で理解できたらいいのにと、心から思います。 初めて「全文入力」の言葉を聞いた時には、話の内容がすべてそのまま文章にされているのだと思っていました。 前回のシンポジウムでは、「全文入力」するためには「ケバとり」や「整文」「縮約」「要約」が必要なのか?との話もあり、「えっ!?」とびっくりした記憶があります。 でもその方法を入れてしまうと、私が考える全文入力ではなくなり、要約入力になってしまいます。 その結果、「全文入力」と「要約入力」の区別が、甚だ曖昧になってしまうのではないかと危惧しています。 もし可能であれば、「ケバ取り」「整文」「縮約」「要約」を行わない、 話の内容がそのまま全部入る、全文入力の実現を望みます。 これが冒頭で話した全文入力に対する認識の違いなのです。 話し言葉そのままの全文入力の場合には、必然的にそれに合わせて読むスピードも必要になってきます。 若い人やいつも文章を読み慣れている人には大丈夫かもしれませんが、歳を重ねると共に、そのスピードへの対応が難しくなってしまう人の中には、要点のみの要約入力でも十分と考える人もいるのではないかと思います。 年齢や環境、情報保障の方法等、実に千差万別であり、個々のニーズも多様化していますが、基本的には、必要な人に必要としている方法を提供できることが大切だと思います。 例えば、聴覚障害の方のコミュニケーションについても 残存聴力による方法に人工内耳・磁気誘導ループ・赤外線補聴システム・補聴器対応電話・タイループ・会議用拡声器等があります。 また視覚による方法には筆談・空書・手話、指文字・身振り、表情・読話・要約筆記・FAX・Eメール・電光掲示板等があります。 ここに出しただけでも15の方法があることが分かります。 それぞれに一長一短があり、TPOもあります。 このたくさんの方法の中から、私たちは自分に合った方法をいくつか組み合わせて、トータルコミュニケーションしているのが現実なのです。 この考え方と同じようにパソコン文字通訳も「全文を入れる全文入力」「要約した内容の要約入力」これらの方法の中から、当事者が自分のニーズに合わせて選択できるようになれば、双方に無理がなく、 このシンポジウムの趣旨である「話の全てを知る権利」が護られると確信しています。 よって、私はこれを提言いたします。 |