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全文通訳とは?


全文通訳とは?

長谷川 洋

 全文通訳とは、基本的に音声の通訳でも行われていることだと思う。国と国との交渉などの場での通訳は、ほとんど要約や省略は認められないだろう。こうしたことは、かっては文字においては不可能と思われていた。しかし、現在では、パソコン文字通訳や音声認識装置により、可能な範囲に入ってきた。
 聴覚障害者の情報保障でも、裁判員制度などが始まり、要約を認めない文字通訳が求められるようになった。裁判員への情報保障は、おそらく聞こえたものを全て文字化するということを求められると思うが、単に話された内容だけではなく、言い淀みや、声が震えている、かすれているなど、感情が声に表れている場合は、それを表記することも必要となろう。
 また大学の講義の情報保障など、専門的内容で要約が難しい場合がある。また非常にまとまった話し方で、要約のしようがないという場合もある。
 裁判員への情報保障の場合は、1)要約してはならない場合である。(全ての情報が意味をもつ)
 大学の講義などの場合は、2)要約できない場合である。(この場合は、内容が咀嚼できないため、要約できない場合と、非常にまとまった話であるため、要約しようがない場合とがある)
 要約という場合に、何を基準に要約するかという問題がある。
 話(講演など)には、要約する場合の観点から見ると、大きく2つに分けられるように思う。一つは、その話の目的がはっきりしていて、何を主張したいかが明確で、話のそれぞれの重要度がかなり明確に見える場合である。もう一つは、あまり主張したいことはないが、その話し方が面白い。内容としては、非常に重要と思われることはないが、話の中の小話一つ一つが面白い場合である。
 前者は、要約するのに向いているし、主張したいことがはっきりしているので、それに応じて優先順位をつけて、枝葉をそぐことができる。一方、後者は、もともと幹がない話であり、落語や漫談のような話し方で、とりとめのない話ではあるが聞いていて面白い。しかし、何が枝葉かと言われると、全てが枝葉であり、結局どこを削るかは、恣意的になりがちである。非常に大幅な要約をされると、全然面白くない。もともと何かを主張しようという話ではないから、まとめるとどうなりますかと聞かれれば、何もありませんというような話だからである。

 そこで、全文通訳とは何かというテーマに戻るが、私の見解は、状況により少し異なるだろうと考えている。裁判における情報保障で、被告や証人とのやりとりの場合は、声の調子まで含んだ非常に厳密な全文通訳が求められるであろう。
 しかし、大学の講義の情報保障では、内容が高度に専門的な場合でも、声の調子までは求められないし、いわゆる「ケバ」などは削除されよう。
 更に、一般の講演会などでは、内容に欠落がなければ、全文通訳と言ってよかろう。内容に欠落がないという意味は、全文を完全に記録したものと、文字通訳されたものの両方を見て(「照合」と言うことにする)、差異を感じないような通訳である。少し分かりにくい表現をしているものを、美文に整形した場合は、話し方が異なっていることが明確にわかるので、全文通訳とは言わない。(こうした通訳が必要な場合はあり、知的障害をもつ者を対象とした場合は、このような配慮や、難しい単語を易しいものに置き換えるなどの配慮が要求される)。方言で話している場合も、そのまま表現することが望ましいが(現在、NHKの朝ドラでは、関西弁(泉州弁)がそのまま字幕にも出てくる)、そうでないからと言って、直ちに全文通訳ではないとは言えないだろう。
 全文通訳ではないと否定されるのは、やはり入力者が意図的に再構築したり、整文したり、削除したりしている場合であろう。話すスピードが非常に速いとか、入力者の技術が未熟なため、話されたものと少し違ったり、一部欠落したりする場合があるが、これを直ちに全文通訳ではないとは言えない。不完全な全文通訳とでも呼ぶべきであろう。
 何か精神論のような話になってしまったが、私の全文通訳とは、全てを通訳してもらったという満足感が得られるものである(後で、「照合」したときでもそう思えるもの)。全文通訳の対極は何かというと、1)入力者が、要約した方が聴覚障害者は分かるのだという考え方に基づいて、文を再構築したり、ある内容を枝葉であると判断して意図的に削除したりする方法、2)手書きなどでは、書ける量に制限があり、一般に1/5に縮めざるを得ないという物理的制約下での要約筆記であろう。パソコン文字通訳では、2)については、そうした制約からかなり解放されており、1)が全文通訳の対極と言えよう。従って、全文通訳の定義は、こうした1)のような通訳の対極であることが明瞭であればよいのではあるまいか。
 ただ、このように定義してしまうと、それは人によっても変わってくるのではないか、そうであれば、客観的に全文通訳の定義がないのと同じではないかという反論が出るかもしれないので、一応全文通訳の条件を書いておく。
 全文通訳の条件
1} 話された内容が全て含まれていること
2} 意図的な再構築、整文がないこと
3) 話者の言葉、言い回しを尊重し、そのまま通訳することを基本とすること
(2011-12-13)